医療裁判ケース
医療における民事裁判
本件は昭和63年に交通事故と医療過誤が同時に、また被害者の両親の保護義務違反も発生した稀のケースの判例である。
■ 登場人物


■ 論点
■ 誰にどれだけ過失があるのか?
■ その過失を金額に表すと一体どのくらいになるのか?
■ この結果が出るのにどの位の月日と労力を伴ったのか?
■ 事故の発生
6歳になったA君は自転車に乗って出かけている時に、信号機のない交差点でタクシーに接触・転倒し、すぐに救急車でB病院に運ばれ、C医師の診察を受けました。C医師は、A君の様子と話から、歩行中の軽微な事故である、と考えた為、レントゲン写真から頭がい骨骨折が発見できなかったので、頭部のCT検査、病院内での経過観察をするまでの必要はないと判断し、負傷部分を消毒し、抗生物質を服用させる治療をしただけでA君と母親を帰宅させました。
ところが A君は、帰宅直後におう吐し、眠気を訴え、夕食を欲しがることもなく午後6時30分ころに寝入り、午後7時ころには、いびきをかいたり、よだれを流したりするようになり、午後11時ころには、体温が39度まで上昇してけいれん様の症状を示し、午後11時50分ころにはいびきをかかなくなったため、両親は初めてA君の容態が重大なのではないかと疑って、午前0時17分ころ、救急車を要請しました。しかし、その時点で、A君は、既に脈が触れず呼吸も停止しており、搬送された病院で、同日午前0時45分、死亡しました。
■ A君死亡の原因
A君の死因は、頭がい外面線状骨折による硬膜動脈損傷を原因とする硬膜外血しゅによるものであり、帰宅後、脳出血による脳圧の亢進によりおう吐の症状が発現し、午後6時ころには傾眠状態を示し、いびき、よだれを伴う睡眠、脳の機能障害が発生し、午後11時ころには、けいれん様の症状を示す除脳硬直が始まり、午後11時50分には自発呼吸が不可能な容態になっていたのです。
■ C医師(病院)の過失
A君の両親は、B病院を訴えました(民法には雇用されている人に、雇用されている仕事上のことで過失があって他人に損害を与えたときは、雇主はその損害を賠償する責任があると規定されています)。裁判所は、C医師がその注意義務に反して、過失によってA君を死亡させた責任があると判断しました。その理由は、以下のとおりです。
硬膜外血しゅは、脳障害である除脳硬直が開始した後はその救命率が著しく減少し、仮に救命に成功したとしても重い後遺障害をもたらすおそれが高くなりますが、早期に血しゅの除去を行えば、高い確率で救命可能性があります。したがって、交通事故により頭部に強い衝撃を受けている可能性のあるA君の診療に当たったC医師としては、外見上の傷害の程度にかかわらず、A君を病院内にとどめて経過観察をするか、仮に帰宅させるにしても、硬膜外血しゅの発生に至る脳出血の進行が発生することがあることと、その典型的な症状を具体的に説明し、事故後少なくとも6時間以上は慎重な経過観察と、このような症状の疑いが発見されたときには直ちに医師の診察を受ける必要があることなどを教え、指導すべき注意義務があったのに、C医師にはこれを怠った過失があるというのです。このように過失に基づいて他人に損害を生ぜしめた行為は不法行為といわれ、前記のとおり、C医師を雇用しているB病院はその損害を賠償する責任があるということになります。
■ A君の両親の過失
もっとも、A君の両親も、除脳硬直が発生して呼吸停止の容態に陥るまでA君の重大な事態に気付かず、何らの措置をも講じなかった点で、A君の経過観察や保護義務を怠った過失があり、結果発生に寄与した過失の割合は、C医師の過失が9割、両親の過失は1割と判断されました。
そうすると、B病院が損害賠償をする場合、損害額から被害者の過失割合である1割を差し引くことになります。これを過失相殺といいます。
■ タクシー運転手の過失
また、裁判所は、本件交通事故は、本件交差点に進入するに際し、自動車運転手として守るべき注意義務を怠った、タクシー運転手の過失によるものですが、A君にも、交差点に進入するに際しての一時停止義務、左右の安全確認義務を怠った過失があり、結果発生に寄与した過失割合はタクシー運転手7割、A君3割と判断しました。
したがって、タクシー会社が賠償する場合、過失相殺により3割が損害額から差し引かれます。
■ A君の被った損害
裁判所は、A君が死亡することによって、生きていれば獲得できた収入2378万8076円を失ったと判断しました。A君のような人の場合、通常この金額は、賃金センサスの全年齢男子平均給与額表の給与額から生活費(50%)を差し引いた額に就労可能年数(18歳から67歳の49年間)に対応するライプニッツ係数、又は新ホフマン係数を乗じて計算されます(このライプニッツ係数等というのは、将来49年間にわたって受け取る賃金額を今一度に受け取るとすれば、その間の利息分だけ多くもらいすぎることになりますので、その利息分を控除して修正するためのものです)。A君はさらに慰謝料として1600万円の賠償請求権があったとも判断されました。また、葬儀費用として100万円かかっており、これも損害賠償請求できる金額と認められました(ただし、両親はタクシー会社から葬儀費用として50万円の支払を受けております)。なお、両親は、A君のこの損害賠償請求権を民法の規定に従って、2分の1ずつ相続しました。
■ 病院とタクシー会社に対して請求できる金額
(1) 東京高等裁判所の判断
本件について、東京高等裁判所は、交通事故と医療事故のA君死亡に対する各寄与度は、それぞれ5割と認められ、B病院が賠償すべき損害額は、A君の死亡による弁護士費用分を除く全損害4078万8076円の5割である2039万4038円から本件医療事故における被害者側の過失1割を過失相殺した上で弁護士費用180万円を加算した2015万4634円であるとしました。前記のとおり、父と母それぞれ2分の1ずつを相続しましたから、それぞれに対しこの金額の2分の1である各1007万7317円(及び弁護士費用を除いた損害に対し、事故の翌日から支払済みまで民法の定める年5分の遅延損害金)を支払うようB病院に命じました。この判断によりますと、父母は、タクシー会社に対しては、上記全損害額の5割である2039万4038円からA君の過失割合3割を減じ、その1427万5826円から既に同社から支払を受けた50万円を差し引いた1377万5826円の2分の1ずつ、688万7913円(及び訴訟をした場合には弁護士費用。また、前記の遅延損害金)の請求ができるということになります。
(2) 最高裁判所の判断
しかし、最高裁判所は、東京高等裁判所のこの判断は、誤りであるとして、変更しました。最高裁判所の出した結論は、B病院は、全損害額である4078万8076円について、1割の過失相殺をした3670万9268円からタクシー会社が払った葬儀費用50万円を控除し、これに弁護士費用180万円を加算した3800万9268円を負担すべきであり、両親のそれぞれはその2分の1である1900万4634円となるというのです。高等裁判所との違いは、死亡に対する交通事故と医療事故のそれぞれの寄与度を考えず、B病院もタクシー会社も、A君の両親から請求を受けたら、全損害額をもとにB病院は1割の、タクシー会社は3割の過失相殺をそれぞれした金額を賠償しなければならないというのです。
そのような判断をした根拠は、民法719条の条文にあります。同条は、「数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自連帯してその賠償をする責任がある」と定めています。最高裁判所は、本件の交通事故と医療事故とは、そのいずれもが、A君の死亡という不可分の一個の結果を招来し、この結果との間に因果関係を有していますから、本件の交通事故における運転行為と本件医療事故における医療行為とは民法719条に定められた共同不法行為に当たるというのです。そして、本件のようにそれぞれ独立して成立する複数の不法行為が順次競合した共同不法行為においても、違う解釈をしなければならない理由はないから、被害者との関係においては、各不法行為者の結果発生に対する寄与の割合をもって被害者の被った損害の額を案分し、各不法行為者において責任を負うべき損害額を限定するというような東京高等裁判所の解釈は、被害者が共同不法行為者のいずれからも全額の損害賠償を受けられるとしている民法719条の明文に反し、これにより被害者保護を図る同条の趣旨を無にするものであり、損害の負担について公平の理念に反することとなるというのです。
同条の「連帯して賠償する責任がある」というのは、被害者が共同不法行為者の誰に対しても、全額を請求でき、共同不法行為者は被害者に損害の全額を支払わなければならないということです。もちろん、被害者は二重に支払を受けるわけにはいきませんから、一人又はそれ以上の不法行為者から全額の支払を受けたときは、債権は弁済によって消滅し、それ以上は誰に対しても請求できなくなります。他方、支払った不法行為者は他の不法行為者に、その者の負担すべき金額を自分に支払うよう、請求することができます。その負担すべき部分というのは、不法行為者同士で話し合って決めることになります。
過失相殺の仕方
また、上記のところからも明らかなとおり、最高裁判所は、交通事故についてのA君の3割の過失は、B病院の賠償金額を定める上では考慮されないとの判断も示しています。
同様に、タクシー会社との関係では、両親の1割の過失は考慮されないことになります。従って、B病院とタクシー会社が連帯して賠償責任を負うというのは、両者に対して重なって請求できる金額についてということになり、賠償すべき金額の少ないタクシー会社に対しては、その金額を超えた請求はできないということになるのです。最高裁判所は、「過失相殺は不法行為により生じた損害について加害者と被害者との間においてそれぞれの過失の割合を基準にして相対的な負担の公平を図る制度であるから、本件のような共同不法行為においても、過失相殺は各不法行為の加害者と被害者との間の過失の割合に応じてすべきものであり、他の不法行為者と被害者との間における過失の割合をしん酌して過失相殺をすることは許されない」といっております。
この判例の影響
この判例は、これまで地方裁判所や高等裁判所でまちまちの結論を採っていた事項について、指針となる判断を示したもので、各裁判所に対して、非常に大きな影響を持つことは間違いありません。しかし、学説は、東京高等裁判所の示した判断と同様の見解を採るものが多数でした。そして、本件の最高裁判所の判断が、常に妥当するものであるかどうか、例えば、交通事故では死亡がおよそ考えられない軽い傷害を負っただけであったのに、医療のミスで死亡したような場合にまで、本件判例と同様に考えるべきであるのかどうか、問題とされています。
少なくとも、本件の場合のように、交通事故と医療過誤が渾然一体となって被害者の死を招来している場合には、他方の不法行為があるということでそれぞれの責任が軽減されるのは不合理と考えられ、本件判例は、そのような場合に、各不法行為者が民法719条によって連帯責任を負うということを明らかにしたものだと解されます(判例時報1747号89頁)。